阪神タイガース岡田監督は現役時代のバックスクリーン3連発のイメージとは裏腹に、徹底した守りの野球をすることで有名で、ファースト大山、サード佐藤輝明、セカンド中野、ショート木浪、センター近本など主力選手の守備位置を固定することで、昨年は18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一を達成しました。
そんな岡田監督ですが、現在30代以下の若い人は現役時代のことをほとんど知らないと思います。
岡田監督は現役時代主にどこを守っていたのでしょうか?
岡田彰布監督の守備位置はどこ?
岡田彰布監督は早稲田大学時代サードを守っていました。
ドラフトで阪神、ヤクルト、西武、阪急、南海、近鉄の6球団から指名され、見事意中の阪神タイガースに入団することになったのですが、阪神以外の5球団はサードのポジションを空けて待ってくれていたようです。
しかし、阪神には当時バリバリの4番だった掛布雅之さんがいた為、サードは空けられないと言われ、岡田監督はプロに入ってセカンドを守ることになります。
プロ入り後、3年目まではセカンドを守っていましたが、4年目に大けがをしてしまい、シーズン半分を棒に振ったことから、ライトに一時的にコンバートされます。
吉田義男監督が就任して以降、岡田さんはセカンドに戻り、セカンドの真弓さんがライトに回り、ショートに平田勝男さんが入るようになります。
阪神はしばらく岡田・平田の二遊間だったのですが、掛布雅之さんが引退することになり、岡田さんはサードに回り、セカンドに和田豊さんが入ります。
その後、のちに代打の神様となる八木裕さんの台頭によりサードに入ることになり、岡田さんは再びセカンドに回るものの、ショートに久慈さんが入ったことで、セカンドに和田さんが入り、92年にファーストにコンバートされます。
阪神には当時オマリー・パチョレックがいたので、92年頃から出番が激減し、93年に再びライトにコンバートされるなどありましたが、93年に仰木監督に声を掛けられオリックスへ移籍。
オリックス移籍1年目の開幕戦で7番ファーストでスタメン出場する等、オリックスでは主にファーストを守っていました。
岡田彰布監督の守備位置まとめ
早大時代サード→阪神に入団し、不動の4番掛布さんがいた為セカンドへ→4年目に大けがをし、ライトはコンバート→1985年に吉田義男監督の起用法によりセカンドへ戻る→1989年掛布さんが引退によりサードへ→1990年八木裕さんの台頭により再びセカンドへ→1992年和田豊さん、久慈さんの二遊間になりファーストへコンバート→1993年ライトへコンバート→1994年オリックスに移籍し、主にファーストを守る
以上のように岡田監督は現役時代主にセカンドを守っており、あとはサード、ライト、ファーストと4つのポジションを守っていました。
内野はショート以外すべてのポジションを守っており、外野はライトのみとなります。
特にセカンドの守備は守備範囲も広くて肩も強くて、送球も良かったことからゴールデングラブ賞の経験もあります。
阪神ファンの方はぜひ知っておいてください。